|
|
|||
| I.「閉塞感を打ち破るために」 |
|||
| 「事業がうまくいかない」、「街づくりが進まない」、「老後の不安がある」…… 今、われわれを、暮らしに係わるさまざまな不安が取り囲んでいます。しかもこの不安にどのように取り組んでいけばよいのか、これに対するきちんとした答えはまだありません。われわれの街のほんの身の回りのことであっても自分たちだけで決めることができないのです。それは、500キロ以上も離れた東京にいる政治家や政府の時代遅れの政策にがんじがらめになっているためです。 「これではいけない」と思って、政治に参加してみてもわれわれの声はなかなかくみ上げてもらえなかったという経験を持つ人も多いことでしょう。『自分は、中央の有力政治家や官庁と太いパイプを持っているので地元に予算をぶんどってくることができる』と主張する政治家はおおぜいいます。しかし、彼らは本当にわれわれの役に立ってきたのでしょうか。そこでためしに「本当にこの街が10年前、20年前とくらべて住みよくなったのだろうか」と考えてみてください。もし、その答えが「少しもよくはならなかった。いや、むしろ悪くなった」ということならば、彼らが行っていた予算のぶんどりは、結局われわれにとってはなんの意味もなかったということになります。 つまり、いままでの利益誘導型の政治では、われわれをめぐる問題を打ち破れないのです。ここに問題点があったのです。そこで、新たな政治の型が必要になります。 そのアイディアの一つとして、今、小泉総理の唱える「改革」が形の上では支持されています。しかしその「改革」の内容は都市再生といった政策が主なもので、東京中心の発想から抜け出していません。小泉総理は神奈川県横須賀市(人口43万人:津と四日市をあわせたくらいの人口です)の出身ですが、地方の現状に関してはいいアイディアがないのです。そしてそこには競争に打ち勝った強いものだけが栄えればいいという発想があるようにも思えます。小泉「改革」は、しょせんは都会の住民の方しか向いていません。 |
|||
II.「金子洋一の基本的な考え:新しい政治の仕組みづくり」 |
|||
こういった問題を解決するために、これからお話しするように国全体の政治の仕組みを作り変え、地元のための政策がきちんと実施される体制作りをします。
|
|||
III.「金子洋一の政策:金子洋一は景気政策で勝負します」 |
|||
| これまでお話した基本的な政治の仕組みのほかに、三重県の景気をよくし、住みやすくするための地元の政策として、次のような具体的な対策を進めます。 ひとことで言えば若者が住みたくなるような町作りが目標です。
以上、地元の景気政策を中心にお話ししました。他にも年金や福祉問題、経済、外交などの国全体の問題について、エコノミストとしてのいままでの経験を活かしてお話したいことはたくさんあります。 |
|||
IV.「なぜ三重5区で活動するのか:寿司とウナギの出前」 |
|||
| 金子洋一が、なぜ『日本人の心のふるさと』といわれる伊勢神宮のお膝元の三重5区で政治活動を開始したのか。このことを説明するためにはまず、結婚前に実家に遊びに来たときに食べた寿司とウナギの出前の話からはじめなければなりません。 それは平成12(2000)年のころですが、伊勢市にある実家では私が遊びに来るたびに歓迎をしてくれていました。昼は、伊勢神宮に参宮し、その近くのお店で食事をすることが常でしたが、晩には出前を取ってくれました。大変おいしかったのですが、なぜかいつも同じ寿司屋さんとウナギ屋さんの出前ばかりだったことにそのうち気がつきました。ある時に、なぜなのか母に尋ねましたところ、「昔は出前をしてくれるお店はたくさんあったのに、最近はお店が次々に不況でつぶれて、近くにはもうあまり出前をしてくれる店がなくなってしまった。」という返事でした。その時、私にはあまりピンとこなかったのですが、漠然と地元の不況の厳しさは感じ取ることができました。 ところがしばらくたつうちに、地元の不況の厳しさはなにも飲食業だけに限られたものではなかったことに気がつきました。あえていえばすべての業界が不況にあえいでいたのです。商店街は昼間からシャッターがおりた店が目立ちましたし、駅前の大型店が撤退した跡地の活用もされていませんでした。昔は、何十軒もの旅館があった観光業も昔と比較すれば大きく落ち込んでしまっていました。地元で生まれた若者にとっても魅力が少ない街になってしまって、働き先がないこともあって学校を卒業すると多くの若者は県外に就職してしまっていたのでした。 私の政策にも取り上げましたが、三重5区には伊勢神宮や熊野古道といった文化遺産、そして国立公園の自然や、海の幸山の幸など多彩な食材に恵まれています。地元の有志もNPOなどの活動を通じていろいろな町おこしの努力をしておられます。ところが、これまではそういった努力がかならずしも大きな成果に結びついていませんでした。三重5区が、もっと住み良く豊かになれる実力を持ちながら、目に見える結果が出ていないということは、三重5区の政治が機能していないことが原因なのではないか、そして新たな経済政策をとればもっといい方向に向けられるのではないか、そういう考えが私の第一の思いだったのです。 第二の思いは、自民党政権の下で公務員として働くことに限界を感じたことです。 私は国家公務員I種試験に合格して、いわゆるキャリア官僚として平成元(1989)年に経済企画庁に入庁しました。自分の能力を活かしつつ、世の中のお役に立てる仕事がしたかったために公務員の道を志したのでした。天下りなど頼まれてもするつもりはなかったので、補助金行政、許認可や規制といった内容の仕事がほとんど全くない経済企画庁(現・内閣府)を選びました。幸い立派な先輩や同僚に恵まれ、いまでもその選択は誤っていなかったと思います。 ところが長年勤務している内に国家公務員の仕事が自民党政権の強い制約を受けていることに気がつきました。行政が、時の政権の考えに左右されることはある意味ではあたりまえのことですが、たとえば、消費者保護政策についてはいろいろなアイディアを打ち出して、お年寄りや身体が不自由な方でも相談しやすくするために、今までは役所などで行っていた消費者相談を、相談員が出向いて地域で消費者相談を行う出前消費者相談制度を発案し、予算を獲得しましたが、それ以上の消費者保護政策は自民党政権下では実現は出来ませんでした。自民党の政策の枠を越えることはできなかったのです。 また、一部で批判を受ける景気の判断についても、我々が客観的に下した判断について、自民党政権と癒着した一部の利権官庁が横やりを入れ、最終的には、客観的な判断とはほど遠い政治的な判断によって彼らの思うとおりに改ざんされてしまうのです。これでは、公務員が全体の奉仕者であるのか、利権政治への奉仕者であるのか判らなくなってしまいます。このような環境で働き続けることには耐えられませんでした。(このような経験から天下りなどの業界と官界の癒着には絶対に反対します。) 先輩や上司も考え直すようにひきとめてくださいましたし、平成元年からの15年間の勤務では、老後の年金受給資格ももらえません。退職金も、何回か後援会報をみなさんにお送りすれば消えてなくなるほどの金額です。しかし、退路を断ち、思い切って退職し、政治活動をはじめました。 |